マッシミリアーノ・アッレグリ(Massimiliano ALLEGRI)
フルネーム マッシミリアーノ・アッレグリ
国籍 イタリア
出身地 リヴォルノ
生年月日 1967・8・11
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 2004〜05 アグリアネーゼ
2005〜06 グロッセト
2007〜08 サッスオーロ
2008〜10 カリアリ
2010〜14 ミラン
2014〜19 ユヴェントス
獲得タイトル 10/11,14/15〜18/19セリエA
11,15,16セリエA年間最優秀監督(AIC)
14/15〜18/19コッパ・イタリア
選手時代は主に攻撃的MFとしてプレーし、地元リヴォルノをはじめ、ナポリやペルージャなど一貫して国内リーグでプレーしました。

ペスカーラ所属時の91/92シーズンにセリエA昇格を経験しましたが、このときの指揮官だったジョヴァンニ・ガレオーネ監督の影響を受けています。
堅い守備をベースにするのは他のイタリア人監督と同様ですが、攻撃志向も持ち、選手には比較的自由にプレーさせます。主に4−3−1−2、4−3−3を採用しています。

4部相当のアグリアネーゼで20年弱にわたる長期の選手生活にピリオドを打ち、そのまま指導者として再スタートを切ります。続くグロッセトも短命に終わりました。
その後恩師ガレオーネ率いるウディネーゼでコーチを務めます。これが功を奏し、2007年から率いたC1サッスオーロでチームをB昇格に導き、最優秀監督に選出されました。
そして、セリエBの監督未経験のままセリエAカリアリに招へいされます。開幕5連敗と立ち上がりは最悪でしたが、GKマルケッティ、FWアクアフレスカといった伸びしろのある選手が攻守に台頭、前年14位だったチームをヨーロッパのカップ戦出場権もうかがう9位に導きます。これにより自身2度目、Aでは無論初の最優秀監督に選ばれました。
2年目はエースのアクアフレスカがレンタル期間終了に伴い退団します。後釜としてポルトガルリーグ得点王のブラジル人FWネネーを獲り、2006年W杯優勝メンバーのバローネと合わせて新しい攻撃陣を形成しますが、後者は期待外れとなりました。ですがマトリが13ゴールを挙げてブレイクするなど安定した戦いで早い段階でのA残留を果たし、前年に続き最優秀監督となりました。ところが2月以降2分け7敗と精彩を欠き2ケタ順位に低迷し、途中で辞任しました。
10/11シーズンにミランと2年契約します。バルサに適応できなかったイブラや母国へ戻っていたロビーニョといったビッグネームを相次いで獲得すると、W杯で活躍したK・P・ボアテングもスムーズに適応します。チームはピルロ、パト、インザーギと負傷者が相次ぎ、ガットゥーゾ、セードルフ、アンブロジーニも加齢により多くを求められず、冬にはロナウヂーニョが退団しました。しかし中盤を引き締めるファン・ボメルに創造力をもたらすカッサーノと即戦力を手にします。また、守備面でもケガに悩むことの多いCBネスタがコンスタントに出場、この影響でT・シウヴァの成長も促進され、ネスタの代役にはコロンビアで主力を張るジェペスも控えるなど攻守に盤石な体制となります。ホームのミラノダービーで3−0と快勝、これを皮切りに終盤に5連勝を飾り、クラブ7年ぶり、自身初のスクデットを獲得しました。チャンピオンズ・リーグではR・マドリーの前にグループリーグ2位通過となり、決勝トーナメント初戦では有利とされていたトッテナムにまさかの敗北を喫しました。
11/12シーズンにガスペリーニがインテルに就任し、ダービーやスクデット争いに注目が集まったものの、彼が開幕して間もなく解任され、ペスカーラ時代の僚友との対戦は実現しませんでした。また、ガットゥーゾやカッサーノが病気になり、パトやT・シウヴァ、ボアテングら主力がケガで離脱。得点王のイブラや新加入で2ケタ得点を挙げたノチェリーノが明るい材料になりましたが、退団したピルロを中心とするユヴェントスに連覇を阻まれました。チャンピオンズ・リーグでもバルサ相手の4試合で2分2敗と完敗しました。そしてこのシーズンを最後にネスタ、ガットゥーゾ、セードルフ、インザーギといったベテランが契約満了で退団し、さらにイブラにT・シウヴァと攻守の軸をPSGに売却せざるをえなくなるほど、クラブは財政難に陥りました。
12/13シーズンはサパタやモントリーヴォ、N・デヨングに加え、インテルとの間でカッサーノとパッツィーニを交換トレードします。チームは序盤こそ低迷しますが、エル・シャーラウィと冬に獲得したバロテッリの働きによってチャンピオンズ・リーグ出場権を獲得しました。翌シーズンはカカの復帰やカリアリ時代の教え子マトリの加入がありましたが、エル・シャーラウィやアバーテ、メクセスと相次ぐケガ人に悩みます。チャンピオンズ・リーグではイタリア勢で唯一決勝トーナメント進出を果たしますが、国内リーグでは決定力不足や不要な失点で勝ち点を伸ばせず2ケタ順位に低迷します。冬にはラミや本田圭と攻守に補強を施すものの、初めてセリエAを戦うサッスオーロ相手に2点をリードしながら逆転負けを喫して解任されました。
その後突然退任したコンテ監督の後を受けてユヴェントスに就任。アウェーのジェノア戦でシーズン初黒星を喫すると、3バックから得意の4−3−1−2に切り替えます。テベス、ポグバ、ピルロ、マルキージオなどの攻撃陣とブッフォンやボヌッチなどの守備陣がかみ合い、パルマやトリノダービーと終盤のアウェー戦を落とした以外は負けず、開幕から1度も首位の座を譲らず、2位のローマに17点差の圧倒的な強さでリーグを4連覇し、国内カップも20年ぶりの頂点となり2冠を達成しました。チャンピオンズ・リーグは12年ぶりに決勝に進んで準優勝となり、特に古巣R・マドリーとバルサからゴールを奪ったFWモラタの活躍が光りました。
テベス、ピルロ、ビダルが去った翌シーズンは序盤こそ低迷しますが、新加入のディバラとマンジュキッチが結果を残します。既存の守備陣も20失点と抜群の安定感でスクデット5連覇を達成。カップ戦ではモラタが勝負強さを見せて国内のタイトルを防衛しました。チャンピオンズ・リーグはR16でバイエルンに逆転負けを喫しました。
16/17シーズンはナポリからイグアイン、ローマからピャニッチとライバルから主力の引き抜きに成功。前半戦の3−5−2から4−2−3−1で臨んだ後半戦はCFマンジュキッチを左に、攻撃的MFピャニッチをボランチに回すなどチームを機能させて国内タイトル3連覇を達成しました。チャンピオンズ・リーグでもバルサやモナコを下すなど12試合をわずか3失点で終えますが、決勝では4失点とR・マドリーの圧倒的な攻撃力に屈しました。
17/18シーズンはD・コスタがチーム最多の14アシストを見せ、マテュイディが中盤に厚みをもたらすなど補強が当たります。また、シュチェスニーを17試合起用して17年間過ごしたブッフォンの退団に備えるなど攻守に盤石な体制を見せ、スクデット7連覇に加え国内カップとの2冠を4年連続で達成しました。チャンピオンズ・リーグではバルサに次ぐ2位でグループリーグを通過、王者R・マドリー戦との準々決勝2ndレグでは3点差を跳ね返しますが、終了間際にPKを与えます。この判定に対しブッフォンが主審に異議を唱え退場し、チームも敗れました。
18/19シーズンはR・マドリーからC・ロナウドを獲得。21ゴール11アシストと期待通りの働きで危なげなくスクデットを防衛します。チャンピオンズ・リーグでもこの新エースがA・マドリー戦でハットトリックを達成し、アヤックス戦でも両試合でゴールを挙げますが、2ndレグでキエッリーニ、マンジュキッチの欠場もあり逆転負けで8強にとどまり、退任しました。

2011年7月25日:新規アップ 2019年6月8日更新

08/09カリアリ
アクアフレスカ ジェダ
  コッス  
ビオンディーニ フィーニ
  コンティ  
アゴスティーニ ピザーノ
ビアンコ ロペス
  マルケッティ  

10/11ミラン(セリエA優勝)
ロビーニョ(パト) イブラヒモヴィッチ
  KPボアテング  
セードルフ ガットゥーゾ
  ファン・ボメル  
ザンブロッタ アバーテ
T・シウヴァ ネスタ
  アッビアーティ  

14/15ユヴェントス(国内2冠、CL準優勝)
テベス モラタ
  ビダル  
ポグバ マルキージオ
  ピルロ  
エヴラ リヒトシュタイナー
キエッリーニ ボヌッチ
  ブッフォン  

15/16ユヴェントス(国内2冠)
マンジュキッチ ディバラ
ポグバ ケディラ
エヴラ リヒトシュタイナー
  マルキージオ  
キエッリーニ バルザーリ
  ボヌッチ  
  ブッフォン  

16/17ユヴェントス(国内2冠、CL準優勝)
 イグアイン 
 ディバラ 
マンジュキッチクアドラード
ケディラピャニッチ
A・サンドロD・アウヴェス
キエッリーニボヌッチ
 ブッフォン 

17/18ユヴェントス(国内2冠)
 イグアイン 
マンジュキッチディバラ
マテュイディケディラ
 ピャニッチ 
A・サンドロリヒトシュタイナー
キエッリーニベナティア
 ブッフォン 

18/19ユヴェントス(国内リーグ8連覇)
 マンジュキッチ 
C・ロナウドベルナルデスキ
マテュイディベンタンクール
 ピャニッチ 
A・サンドロカンセロ
キエッリーニボヌッチ
 シュチェスニー