ヴァロン・ベーラミ(Valon BEHRAMI)
フルネーム ヴァロン・ベーラミ
国籍 スイス※1
出身地 ※2
生年月日 1985・4・19
身長 184cm
体重 71kg
利き足
ポジション DF(RSB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2005・10・8
フランス戦
代表背番号 11 19
W杯メンバー 06年 10年
14年 18年
ニックネーム ※3
個人タイトル  
チームタイトル 13/14コッパ・イタリア
所属クラブおよび背番号 出場 得点
02/03 ルガノ
03/04 ジェノア(イタリア2部) 24
04/05 ヴェローナ(イタリア2部) 33
05/06 ラツィオ(イタリア) 85 26
06/07 ラツィオ(イタリア) 85 17
07/08 ラツィオ(イタリア) 85 22
08/09 ウェストハム(イングランド) 21 24
09/10 ウェストハム(イングランド) 21 27
10/11 ウェストハム(イングランド) 21
10/11 フィオレンティーナ(イタリア) 85 17
11/12 フィオレンティーナ(イタリア) 85 31
12/13 ナポリ(イタリア) 85 33
13/14 ナポリ(イタリア) 85 21
14/15 ハンブルガーSV(ドイツ) 21 22
15/16 ワトフォード(イングランド) 8 21
16/17 ワトフォード(イングランド) 8 27
17/18 ウディネーゼ(イタリア) 85 20
18/19 ウディネーゼ(イタリア) 85 19
19/20 シオン    
元来爆発的な攻め上がりを見せるSBですが、中盤やWG、ボランチもできるセンスの持ち主。ドリブル突破からの強烈なミドルを得意としています。
奇抜なヘアスタイルやタトゥー(右腕に自らのを含め、父親、母親、妹の名前を入れています)など外見に強いこだわりを見せます。

アルバニア系コソボ州民の家に生まれました。紛争から逃れるため、5歳の時にスイス南部に亡命して市民権を獲得しました(国内でイタリア語を話す地域でした)。
父親がサッカー選手でしたが、自らはその運動能力を主に陸上競技で発揮しました。やがて13歳からサッカーに専念し2000年にルガノに入ります。2年後にクラブが破産したためイタリアのジェノアへ移籍、1年後同じセリエBのヴェローナへレンタル移籍しました。
チームを率いるフィッカデンティ監督によって自由を与えられ、創造性あふれるパフォーマンスを見せて不動のレギュラーとして活躍し、セリエBの最優秀選手に選ばれました。
この活躍により移籍市場で注目を集め、激しい争奪戦の末ラツィオに移籍することが決まり、5年契約を結びました。2005年8月28日メッシーナ戦でセリエAデビューすると26試合に出場、2月のフィオレンティーナ戦で初ゴールを挙げ勝利に貢献しました。本来の順位は6位でしたが、カルチョ・スキャンダルの処分で16位となり、かろうじて1部に残りました。
07/08シーズンはR・マドリーと引き分けた試合でチャンピオンズ・リーグにもデビューして4試合に出場。ローマダービーでシーズン唯一のゴールを挙げて勝利に貢献しました。
翌シーズンにイングランドに活躍の場を求め、2008年8月24日マンチェスター・C戦でプレミアデビュー。アウェーのサンダーランド戦で初ゴール、FA杯でもゴールを決めました。
3年目の途中にフィオレンティーナに移籍し、パレルモ、インテル、ウディネーゼといった上位陣からアシストを決める勝負強さを見せ、2年目は開幕からレギュラーに定着。2年目は1部リーグでの自己最多となる31試合に出場して苦境のチームを支えました。
12/13シーズンにDFガンベリーニと共にナポリへ。サイドからセンターにポジションを移し、インレルやジェマイリといった同胞の存在もあって素早くチームにフィット、33試合と主力の座を確立させてリーグ2位になりました。翌シーズンはリーグ戦こそ21試合にとどまりましたが、3つのカップ戦にもまんべんなく起用され、コッパ・イタリアで自身初タイトルを獲得しました。
14/15シーズンにハンブルガーへ移籍します。8月23日ケルン戦でブンデスリーガにデビューし、22試合に先発して1部残留に成功しました。
その後ワトフォードとウディネーゼでは控えに終わり、母国に戻っています。

各カテゴリーを経験して2004年に国籍を取得、2005年10月8日のW杯予選フランス戦でフル代表デビュー。トルコとのプレーオフ第一戦、後半終了間際に追加点を奪い本大会出場に貢献し、メンバーにも入ります。同い年のバルネッタが主力であり、自身もそけい部を痛めていたため出場機会はわずかでしたが、決勝トーナメント進出を果たしています。
ホスト国として臨んだ2008年欧州選手権では右サイドハーフで3試合プレーしましたが、決勝トーナメント進出はなりませんでした。その後2010年W杯予選では3試合の出場にとどまり、本大会でもチリ戦の前半に一発退場になりました。2012年欧州選手権予選でも4試合に終わって敗退するなど、国際舞台では見せ場を作れない状況が続きました。
それでも2014年W杯予選は9試合に出場、シャキリやジャカといった同じアルバニア系の後進を支え、本大会でも4試合に出場してベスト16になりました。2016年欧州選手権予選は7試合出場。4試合に先発した本大会はポーランドにPK戦の末敗れました。
2018年W杯予選は出場した5戦を全勝。4度目となる本戦はカード2枚を受けながらもブラジルを引き分けるなど健闘してベスト16に進出しました。
代表記録

※1:アルバニア国籍もあり
※2:コソブスカ・ミトロビカ
※3:ベラ、ザ・ウォーリアー
2007年2月17日:新規アップ 2019年7月3日更新