ブランコ・イヴァンコヴィッチ(Branko IVANKOVIC)
フルネーム ブランコ・イヴァンコヴィッチ
国籍 クロアチア イヴァンコヴィッチ
出身地 ヴァラジディン
生年月日 1954・2・28
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1992〜95 ヴァルテクス・ヴァラジディン
1995〜96 セゲスタ・シサック
1996〜97 NKリエカ
1997〜98 クロアチア代表アシスタントコーチ
1999〜00 ハノーファー(ドイツ2部)
2000〜02 クロアチア代表スタッフ
2002〜06 イラン代表
2006〜08 2008〜08 ディナモ・ザグレブ
2010〜   山東魯能(中国)
獲得タイトル 02アジア大会
05/06,06/07クロアチアリーグ
06/07クロアチアカップ
現役時代は主に国内のクラブでプレーし、1980年代の終わり頃に現役を退きました。堅守をベースに、攻撃面では個人技を重用します。

現役引退後、監督のライセンスを取得するため猛勉強に励み、他に体育の博士号も取得しています。システムは4−4−2や4−2−3−1を得意としています。

1991年に母国のクラブ、ヴァルテクスで監督業が始まります。92/93シーズンよりクロアチアの1部リーグが創設され、国内カップで準々決勝進出を決めたほか、クラブの1部残留に貢献します。その後国内のクラブを渡り歩きました。
1997年に母国のアシスタントに就任。1998年W杯予選ではデンマークに足元を救われプレーオフに回りますが、ウクライナを破り出場権を獲得します。本大会ではアルゼンチン、ジャマイカ、日本とのグループを2位で通過して決勝トーナメントに進出し、ルーマニア、ドイツを完封。ホストのフランスに敗れるも3位決定戦でオランダを下し、初出場で3位と結果を残しました。
W杯後はドイツのハノーファーで指揮を執り、ふたたびクロアチア代表をサポートします。ボバンやアサノヴィッチら攻撃的な中盤が引退したため以前のような攻撃的なサッカーはせず、守備的なチームに変貌します。それが成功し、2002年W杯予選ではわずか2失点と抜群の守備力を見せ、5勝3分けと無敗で突破を果たしました。
予選通過を見届けた後、2001年にイラン代表コーチに就任、翌2月にブラジェヴィッチ監督の後を引き継ぎ監督に昇格します。韓国のプサンで行われたアジア大会では同国を2連覇に導いて自身初のタイトルを獲得しました。
1度退任した後2003年10月18日の北朝鮮戦で再び指揮を執ります。サッカー協会と対立していた主力FWハシェミアンを説得して代表に戻し、マハダヴィキア、カリミ、ザンディなどドイツで活躍する選手を攻撃の軸に据えた攻撃力はアジア最強とうたわれました。しかしそのタレント性を重視しすぎるきらいがあり、国内リーグの選手を軽視する傾向があったため一時は解任論もささやかれましたが、堅守をベースにチームを2大会ぶり3回目の出場権獲得に成功します。本大会グループリーグではシードのメキシコとタレントぞろいのポルトガルに敗れ、アンゴラとも引き分けて最下位に終わりました。
そして母国の強豪D・ザグレブに就任。MFモドリッチやDFチョルルカといった実力のある若手をレギュラーに据えてリーグ連覇などを果たしましたが、フロントとの確執が表面化して07/08シーズン途中に一度はクラブを去りました。翌シーズンに復帰するものの成績を残せず半年余りで辞任し、2010年からは中国リーグで指揮を執っています。
2006年11月18日:新規アップ 2012年1月2日更新

06イラン代表(W杯出場)
ハシェミアン ダエイ
  カリミ  
ザンディ マハダヴィキア
  ネクナム  
ノスラティ カエビ
レザエイ ゴルモハマディ
  ミルザプール  

07/08ディナモ・ザグレブ
バラバン ショコタ
モドリッチサミール
ポクリヴァツヴコイェヴィッチ
チャーレエットー
シルデンフェルトドルヴィッチ
 コッホ