| 岩政 大樹(Daiki IWAMASA) | |||||||||||||||||||||||||||||
| フルネーム | 岩政 大樹(イワマサ ダイキ) | ||||||||||||||||||||||||||||
| 国籍 | 日本 | ![]() |
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| 出身地 | 山口県大島郡 | ||||||||||||||||||||||||||||
| 生年月日 | 1982・1・30 | ||||||||||||||||||||||||||||
| 身長 | 187cm | ||||||||||||||||||||||||||||
| 体重 | 85kg | ||||||||||||||||||||||||||||
| 利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
| ポジション | DF(CB) | ||||||||||||||||||||||||||||
| FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
| キャプテン経験 | クラブ | ||||||||||||||||||||||||||||
| 代表デビュー | 2009・10・10 スコットランド戦 |
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| 代表背番号 | 13 | ||||||||||||||||||||||||||||
| W杯メンバー | 10年 | ||||||||||||||||||||||||||||
| ニックネーム | ダイキ | ||||||||||||||||||||||||||||
| 個人タイトル | 07〜09Jリーグベストイレブン | ||||||||||||||||||||||||||||
| チームタイトル | 07〜09Jリーグ | ||||||||||||||||||||||||||||
| 07,10天皇杯 | |||||||||||||||||||||||||||||
| 11,12ナビスコカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
| 11AFCアジアカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
| 所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
| 04 鹿島アントラーズ 15 | 18 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
| 05 鹿島アントラーズ 15 | 31 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
| 06 鹿島アントラーズ 3 | 30 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
| 07 鹿島アントラーズ 3 | 33 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
| 08 鹿島アントラーズ 3 | 33 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
| 09 鹿島アントラーズ 3 | 33 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
| 10 鹿島アントラーズ 3 | 34 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
| 11 鹿島アントラーズ 3 | 28 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
| 12 鹿島アントラーズ 3 | 32 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
| 13 鹿島アントラーズ 3 | 18 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
| 14 テロ・サーサナ(タイ) 5 | 35 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
| 15 ファジアーノ岡山(J2) 35 | 42 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
| 16 ファジアーノ岡山(J2) 35 | 40 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
| 17 東京ユナイテッド(5部) 18 | |||||||||||||||||||||||||||||
| 17 東京ユナイテッド(5部) 18 | |||||||||||||||||||||||||||||
| 187cmの高身長を利した打点の高いヘディングで攻守に大きな存在感を放つ、鹿島の第二期黄金時代のCB。数学の教員免許を保持するなど知性も兼ね備えています。 幼少時からボールを蹴っていたものの、地元にクラブが無く教師である母が赴任していた学校の大島サッカースポーツ少年団に小学4年で加入し、練習を始めます。 そして地元の選抜チームで県大会や全国大会に出場。日本リーグの名門、永大産業の元選手がチームのコーチであるという恵まれた環境の中、才能を練習で伸ばしました。 沖浦中に進学すると大島JSCというクラブが創設されますが、練習時間が短く中学の陸上部と並行して活動していました。それでも3年時には県大会を制しました。 高校進学時には強豪の多々良学園からオファーがありましたが、教師である両親の背中を見て育った自身には当時はサッカーで身を立てるという発想がなく、進学校の岩国高校へ。多々良などの前に高校選手権出場はなりませんでしたが、国体メンバーに選出されます。しかし骨折したため試合出場はなりませんでした。その後教師を目指し東京学芸大に一般受験で入学しました。大学リーグでは駒澤の巻、深井などのアタッカーとしのぎを削りました。 2004年に鹿島へ入団し、4月4日名古屋戦でJリーグデビューを果たします。1stステージ14節にてライバルの磐田からJ初得点でチームを勝利に導くと、2ndステージ第7節よりレギュラーに定着し、優秀新人賞を受賞しました。経験十分の大岩と共に最終ラインに安定感をもたらすと、06シーズンからは尊敬する秋田が着けていた背番号3を任されます。 07シーズンには第15節広島戦にてDFとしてJリーグタイ記録となる4試合連続得点、08シーズンには33節磐田戦の後半ロスタイムで優勝を手繰り寄せる決勝点、09シーズンにはクラブのJリーグ通算1000得点を決めるなど強い印象を残してチームをリーグ3連覇に導き、自身も3年連続でJリーグベストイレブンに選ばれました。 10シーズンも34試合3得点と結果を出しましたが、初優勝する名古屋の前にリーグ連覇が潰え、ベストイレブン入りも逃しました。翌シーズンも開幕戦など自己最多の6得点を挙げるものの、ナビスコ杯で負傷したためリーグは28試合に終わり、チームも6位と低迷しました。 12シーズンは2年ぶりの30試合越えを果たすも山村の台頭もあり、プロ入り以来最少タイの出場機会に終わります。タイでは自己最多の出場を果たし、1年で日本に戻ります。 岡山では、加地と共に豊富な経験をもたらして2年目にクラブを初の昇格圏内に引き上げますが、C大阪とのプレーオフで惜敗して退団しました。 17シーズンから東京Uでコーチ兼任でプレー、2年目を最後に引退しました。 東京学芸大時代には2003年ユニバーシアードで優勝を経験。2009年10月10日スコットランド戦でフル代表デビューし、中澤、闘莉王に続く大型CBとして期待を集めます。 2010年W杯にも出番こそなかったもののメンバー入り。2011年アジア杯では直前の負傷でコンディションが懸念されましたが、2試合に途中出場して実戦感覚を取り戻し、累積警告の吉田の代わりに韓国戦で先発、決勝オーストラリア戦でも相手の攻撃を抑え優勝しています。 代表記録 8試合 余談 ・あこがれの選手はR・バッジョです。 2011年1月25日:新規アップ 2018年10月23日更新 |
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