ヤコブ“コビ”クーン(Jakob“Kobi”KUHN)
フルネーム ヤコブ“コビ”クーン
国籍 スイス
出身地 チューリッヒ
生年月日 1943・10・12
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1979〜90 チューリッヒユースチーム
1990〜95 チューリッヒテクニカルディレクター、ユースチーム
2001〜08 スイス代表
獲得タイトル  
チューリッヒの労働階級ビーディコンに生まれ、1960年に17歳でFCチューリッヒに入団。2ヶ月間グラスホッパーに在籍した以外は一貫してチューリッヒでプレーしました。
ポジションはMFで、幼いころから磨いた巧みなボールさばきとドリブルでゲームを作り、6度のリーグ優勝と5度の国内カップを制します。チャンピオンズ杯でも2度ベスト4になりました。
スイス代表としても63のキャップ数を誇り、イングランドでの1966年W杯にも出場しました。

人心掌握に長け、意思の疎通が取れた高い組織力を武器にするチームを作ります。特にその威力は守備に発揮され、ゾーンディフェンスと巧みなポジショニングによりボールを奪います。
システムとしては、4−4−2や4−2−3−1を採用しています。

クラブ監督経験はチューリッヒのユースチームのみで、しかも暫定的なものでした。その後母国のユース代表を率い、U−18やU−21の監督を務め、基盤を築きました。
2001年、アルゼンチン人のトロセロやイングランド人のホジソン、ドイツのシュティーリケなど、それまで外国人が担ってきたフル代表の監督に就任し、実に12年ぶりとなる母国人監督の誕生となります。U−21から昇格して積極的に若手を起用し、チームの活性化を図りました。
2002年W杯予選では、本大会に出場したロシア、スロヴェニアには1度も勝てず敗退します。しかし、2004年欧州選手権予選ではロシアやアイルランドといったW杯出場国と同組の中でH・ヤキンやフライなど自ら発掘した選手が活躍し、首位で通過しました。本大会ではイングランド、フランス、クロアチアと同じグループになる不運があり敗退にはなりましたが、フォンランテンが欧州選手権史上最年少ゴールを挙げるなど、収穫も得ることができました。
2006年W杯予選でも、フランスやアイルランドなど強豪と互角の勝負を見せ、プレーオフ第2戦のトルコ戦で負けるまで1年間14戦無敗というすばらしい結果を出し、3大会ぶりのW杯出場を決めました。選手も、フォンランテンに続き、センデロスやベーラミ、バルネッタなど若い選手が台頭しました。本大会の初戦フランス戦をドローに持ち込むと、フライのゴールなどでトーゴと韓国に勝利し、首位でグループを通過します。失点はゼロと鉄壁の守備を見せました。
決勝トーナメントは初出場のウクライナと対戦。スコアレスドローで、PK戦にまでもつれた試合に敗れベスト16に終わりました。無失点での敗退は大会史上初の出来事でした。
チームは敗退しましたが、2008年のオーストリアと共催する自国での欧州選手権に向けて手ごたえを感じ、引き続き指揮を執ります。2008年欧州選手権に先立ったテストマッチでは15戦で5勝1分け9敗と不振にあえぎます。オランダやアルゼンチン、チリと互角に渡り合ったかと思えば、オシム率いる日本やアメリカに敗れるなど不安定な戦いに終始しました。
迎えた本大会では、じん帯を断裂して戦線を離れていたDFリーダーのミュラーが復帰したことは幸運でしたが、開幕戦でフライが負傷するアクシデントに見舞われ、連敗してグループリーグ敗退が決定しました。3戦目でグループリーグ突破を決めてスタメンを大幅に入れ替えたポルトガルに勝利し、この試合を最後に辞任、ヒッツフェルト監督に後を託しました。
2006年7月31日:新規アップ 2012年1月3日更新

06スイス代表(W杯出場)
フレイ ギガクス
  カバニャス  
ヴィッキー バルネッタ
  フォーゲル  
マニャン P・デゲン
センデロス ミュラー
  ズベルビュラー  

08スイス代表(欧州選手権出場)
デルディヨク H・ヤキン
バルネッタベーラミ
インレルフェルナンデス
マニャンリヒトシュタイナ
センデロスミュラー
 ベナーリオ