巻 誠一郎(Seiichiro MAKI) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 巻 誠一郎(マキ セイイチロウ) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 熊本県宇城市 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1980・8・7 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 184cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 81kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | FW(CF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2005・7・31 北朝鮮戦 |
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代表背番号 | 9 11 12 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 06年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | マキ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 01ユニバーシアード | ||||||||||||||||||||||||||||
05,06ナビスコカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
03 ジェフ市原 18 | 17 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
04 ジェフ市原 18 | 30 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
05 ジェフ千葉 18 | 33 | 12 | |||||||||||||||||||||||||||
06 ジェフ千葉 18 | 32 | 12 | |||||||||||||||||||||||||||
07 ジェフ千葉 18 | 34 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
08 ジェフ千葉 18 | 30 | 11 | |||||||||||||||||||||||||||
09 ジェフ千葉 18 | 31 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
10 ジェフ千葉(J2) 18 | 13 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
10 アムカル(ロシア) 9 | 9 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
11 深セン(中国) 18 | 4 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
11 東京ヴェルディ(J2) 41 | 14 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
12 東京ヴェルディ(J2) 18 | 18 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
13 東京ヴェルディ(J2) 18 | 19 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
14 ロアッソ熊本(J2) 36 | 38 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
15 ロアッソ熊本(J2) 36 | 39 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
16 ロアッソ熊本(J2) 36 | 35 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
17 ロアッソ熊本(J2) 36 | 30 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
18 ロアッソ熊本(J2) 36 | 25 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
中学と高校でアイスホッケーと両立させて国体にも出場した経験が、攻守に前線で身体を張るプレースタイルにつながっています。本人いわく「利き足は頭」であり、腰より低い位置のボールを頭に当てて味方にパスを送る難易度の高いプレーも披露します。 小学校低学年時は野球をしていましたが、小学5年からサッカーに専念、当時からストライカーとしてプレーしていました。大津高では2年のときに高校選手権でベスト8に進みました。その後大学サッカーの名門駒大に進みます。161cmで後に鹿島に入団する深井と身長差約20cmの2トップを形成し、関東大学リーグ、全日本選手権など数々のタイトルを獲得しました。 2003年に市原(現千葉)に入団。1年目は3月22日ホームでの開幕東京V戦に途中出場してJデビューし、8月の浦和戦で初ゴールを記録します。しかし韓国代表チェ・ヨンスがレギュラーだったため17試合の出場にとどまり、2ゴールでシーズンは終わりました。 04シーズンは途中出場が多かったものの、出番が大幅に増えます。カップ戦で5試合4ゴールと決定力の高さを見せ付けました。この活躍で翌年にはレギュラーに定着し、開幕から3試合連続ゴールを挙げました。ただ、いずれも試合結果がドローだったのが悔やまれるところであり、勝利に貢献したゴールは第8節のG大阪戦まで待たなければなりませんでした。 しかしその後もコンスタントにゴールを積み重ね、最終的にリーグでは12ゴールを挙げました。日本人では佐藤寿人の18、大黒将志の16に次ぐゴール数でした。 06シーズンはチーム最多の12ゴールを挙げてエースになりますが、翌シーズンはチーム同様不本意な数字に終わります。しかし全試合に出場して残留に貢献しました。 周囲の選手が次々に新天地を求め、自身にも大宮などからオファーを受けていたものの残留を決意し、復帰した坂本と共に精神的支柱としての役割を担います。08シーズンはPKキッカーも務め、2年ぶりの2ケタゴールを記録してチームの残留に貢献します。 しかし翌09シーズンはわずか5ゴールに終わり、日本リーグの古河電工時代含め初の2部リーグ降格となります。村井や佐藤勇といったかつての僚友の復帰と共に1年でのJ1復帰が期待されたものの、世代交代を図るチームの構想に合いませんでした。 30歳で初の海外となり、2010年8月7日アンジ戦のデビューもノーゴールに終わります。その後トルシエ監督が率いる深センヘ移りますが、ケガで結果を出せませんでした。 東京Vでの1年目は古巣千葉などから3ゴールを挙げます。2年目は1ゴールに終わり、3年目は高原と共に巻き返しを図りますが、19試合と不本意な結果に終わりました。 14シーズンからJ2熊本でプレー。16シーズン期間中の地震発生以降は地元の復興に向けて尽力し、18シーズンを最後に現役を退きました。 J:207試合53得点 J2:231試合16得点 2001年に北京で開催されたユニバーシアードでは、3ゴール1アシストの活躍でチームの優勝に大きく貢献しました。2005年7月31日、東アジア選手権の北朝鮮戦で後半からフル代表デビューすると、次の中国戦で先発出場を果たしました。 2006年のアメリカ遠征にも召集を受けて2月11日のアメリカ戦の後半から出場し、15分に右サイドの加地からのクロスを頭で合わせ代表初ゴール。Jリーグでもアピールを続け、5月3日第11節、ジーコ監督が見つめる中ホームの浦和戦でゴールを決めました。 2006年5月15日にW杯メンバーに名を連ね、カズや鈴木隆が着けていた背番号11が与えられます。グループリーグ1戦2戦はベンチでしたが、レギュラーの柳沢と高原が不発だったため、3戦目のブラジル戦にスタメン出場しました。 W杯終了後にオシム監督が日本代表に就任。彼のサッカーを体現できる存在として定着し続け、2007年アジア杯ではベトナム戦でゴールを挙げてベスト4になりました。 その後オシム監督が病に倒れ、岡田監督の下で臨んだ2010年W杯予選は4試合戦って初戦でゴールを決めましたが、大久保や岡崎の台頭により代表から離れました。 代表記録 38試合8得点 2006年5月28日:新規アップ 2019年1月16日更新 |