ロベルト・マンチーニ(Roberto MANCINI)
フルネーム ロベルト・マンチーニ
国籍 イタリア
出身地 エシ
生年月日 1964・11・27
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 2000〜02 フィオレンティーナ
2002〜04 ラツィオ
2004〜08 2014〜16 インテル
2009〜13 マンチェスター・シティ(イングランド)
2013〜14 ガラタサライ(トルコ)
2017〜18 ゼニト(ロシア)
2018〜   イタリア代表
獲得タイトル 00/01,03/04〜05/06コッパ・イタリア
05/06〜07/08セリエA
10/11FAカップ
11/12プレミアリーグ
13/14トルコカップ
現役時代はFWでした。サンプドリア在籍時は、クラブが獲得した全てのタイトル(リーグ優勝、国内カップなど)に関わっており、チャンピオンズ・リーグでも決勝の舞台に立ちました。また、キャプテンとしてチームをまとめ、「ミスター・サンプドリア」と呼ばれました。ラツィオでは99/00シーズンにリーグ優勝を達成し、現役を引退しました。
イタリア代表では36キャップを記録し、1990年W杯で3位になりました。

サンプドリアやラツィオ時代に師事したエリクソン監督の影響を受けています。攻撃志向が強く4−4−2が基本ですが、対戦相手によってフォーメーションを変化させます。
ポゼッションを重視し現役時代同様攻撃的サッカーを標榜。フィオーレ、ベロン、フィーゴ、スタンコヴィッチ、シルバなど良質のパサーを配置するのが特徴です。
現役時代はスター選手だっただけあり、タレントが多いチームをまとめるのも得意です。

引退後、そのままラツィオに残ってエリクソン監督のアシスタントを務めます。2001年1月に彼が解任された後はレスターで一時的に現役復帰しましたが、約1ヶ月で引退しました。
00/01シーズン途中の3月にテリム監督の辞任を受け、36歳の若さでフィオレンティーナに就任。しかし2年目はクラブが破産寸前となり、17節終了後に解任されました。
02/03シーズンに監督としてラツィオに復帰。ネスタやクレスポを売却するほどの財政難に陥っていたクラブをUEFA杯でベスト4に、国内リーグでもチャンピオンズ・リーグ出場圏内のリーグ4位に導きます。翌シーズンの同大会予備予選でベンフィカを破るもののグループリーグで敗退、リーグでも6位に終わりますが、国内カップ決勝ではユヴェントスを下しました。
04/05シーズンにザッケローニ監督の後任としてインテルに就任。自身が選手、監督として接してきたベロン、ミハイロヴィッチ、ファヴァッリなど気心の知れた選手を中心にチームを構成します。そして公式戦40試合連続無敗記録を作りますが、攻撃にウエイトを置きすぎたために先制しても追いつかれて引き分けた試合が多すぎたのが要因で、ユヴェントスやミランに水をあけられました。05/06シーズンはカルチョ・スキャンダルのあおりでユヴェントスが優勝を剥奪され、ミランも勝ち点を減点されたため繰り上がりでリーグ優勝し、国内カップも就任以降2連覇しました。06/07シーズンはイブラヒモヴィッチやクレスポなど大型補強を敢行し、引退したミハイロヴィッチをコーチに据えます。新加入のヴィエラやダクールを生かすため3センターとし、4−3−1−2の布陣を敷きました。
ユヴェントスやミランの不正行為へのペナルティがあり事実上ライバル不在の中連覇を達成、5試合残してのリーグ優勝は、47/48シーズンのトリノ、55/56シーズンのフィオレンティーナと並ぶ最速記録となりました。国内カップは決勝でローマに敗れ3連覇はなりませんでした。
07/08シーズンはビッグイヤーを念頭に置くもベスト16で敗れ、直後に辞任をほのめかしてすぐに撤回するという問題行動をとったことから、スクデット3連覇を果たすも解任されました。
2009年12月にヒューズ監督を解任したマンチェスター・Cに就任。冬にレスコットとヴィエラを獲得して守備を強化し、リーグ5位でヨーロッパリーグ出場権を手にしました。
2年目はレンタルバックのGKハートが成長し、シルヴァとT・ヤヤ、ミルナー、冬にジェコと攻撃陣もレベルアップを遂げます。スター軍団ゆえチームの掌握に苦心し一部の選手と確執が取りざたされましたが、キャプテンのテベスが20得点を挙げるなど3位となりチャンピオンズ・リーグ出場権を獲得。また、クラブ35年ぶりのタイトルとなる国内カップ制覇を果たしました。
3年目はテベスと待遇をめぐり衝突します。高額の移籍金と年俸により受け入れ先が見つからずチームに残ったものの事実上の構想外になり、キャプテンマークをDFコンパニに託します。チャンピオンズ・リーグこそ経験豊富なバイエルンと、まとまりのあるナポリの前にグループリーグで敗れます。しかし国内リーグではナスリやアグエロがすぐに適応し、バロテッリはマンチェスター・ダービーで2得点、テベスも終盤で和解してノーリッジ戦でハットトリックを決めるなど、ピッチ外での行動を帳消しにする働きを見せます。守備でもコンパニ、ハート、バリーなどの安定感もあってホームで無敗をキープし、93得点、29失点とリーグ最高の成績で44シーズンぶり3度目のリーグ優勝を達成しました。
4年目は若いナスタシッチや右SBサバレタの活躍で故障がちなコンパニの穴を埋め、リーグ最少の34失点と守備陣は奮闘しましたが、攻撃力が低下して2位になります。チャンピオンズ・リーグはR・マドリー、ドルトムント、アヤックスとの激戦区で一度も勝てずにグループリーグ敗退。FA杯は決勝でウィガンに敗れて無冠になり、解任されました。
13/14シーズン途中にガラタサライに招へいされます。GKムスレラ、DFシェジュ、MFスナイデル、FWドログバなど多くのタレントを抱え、チャンピオンズ・リーグではユヴェントスとの2位争いを直接対決で制し(1勝1分)、R・マドリーに次いでグループリーグを突破しました。しかし国内リーグでは優勝を逃し、契約を1年残して退任しました。
14/15シーズン途中に不振にあえぐインテルに復帰、シャキリやポドルスキの能力を活かせず8位に終わります。2年目は守備を強化して途中まで首位でしたが、サッスオーロ戦ではムリージョのミスでPKを献上して敗れ3位に転落すると、ミラノダービーでも3失点するなど4位と2年連続でチャンピオンズ・リーグ出場権を逃し、3年目の直前に解任されました。
ガラタサライとゼニトでは結果が出ず、2018年W杯を逃した母国代表に就任しています。

余談
・フィリッポとアンドレアという二人の息子がおり、インテルのユースでプレーしています。

2006年12月31日:新規アップ 2018年5月20日更新

00/01フィオレンティーナ(国内カップ優勝)
キエーザ N・ゴメス
  ルイ・コスタ  
ヴァノーリ ディ・リーヴィオ
ブレッサン アモローゾ
ピエリーニ ジェプカ
  アダーニ  
  トルド  

03/04ラツィオ(国内カップ優勝)
C・ロペス コッラーディ
セーザルフィオーレ
リヴェラーニジャンニケッダ
ファヴァッリオッド
ミハイロヴィッチスタム
 ペルッツィ 

06/07インテル(国内リーグ連覇)
クレスポ イブラヒモヴィチ
スタンコヴィッチフィーゴ
カンビアッソヴィエラ
グロッソサネッティ
マテラッツィコルドバ
 J・セーザル 

10/11マンチェスター・C(FA杯優勝)
 テベス 
 トゥーレ・Y 
ミルナーシルバ
バリーデヨング
コラロフリチャーズ
コンパニK・トゥーレ
 ハート 

11/12マンチェスター・C(リーグ優勝)
 バロテッリ 
 アグエロ 
ナスリシルバ
バリーT・ヤヤ
クリシリチャーズ
レスコットコンパニ
 ハート