| 大野 敏隆(Harutaka ÔNO) | |||||||||||||||||||||||||||||
| フルネーム | 大野 敏隆(オオノ ハルタカ) | ||||||||||||||||||||||||||||
| 国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
| 出身地 | 埼玉県川口市 | ||||||||||||||||||||||||||||
| 生年月日 | 1978・5・12 | ||||||||||||||||||||||||||||
| 身長 | 173cm | ||||||||||||||||||||||||||||
| 体重 | 72kg | ||||||||||||||||||||||||||||
| 利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
| ポジション | MF(OMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
| FK PK | FK | ||||||||||||||||||||||||||||
| キャプテン経験 | クラブ | ||||||||||||||||||||||||||||
| 代表デビュー | |||||||||||||||||||||||||||||
| 代表背番号 | |||||||||||||||||||||||||||||
| W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
| ニックネーム | ハル | ||||||||||||||||||||||||||||
| 個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
| チームタイトル | 99ナビスコカップ | ||||||||||||||||||||||||||||
| 所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
| 97 柏レイソル 24 | 7 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
| 98 柏レイソル 13 | 28 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
| 99 柏レイソル 10 | 12 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
| 00 柏レイソル 10 | 27 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
| 01 柏レイソル 10 | 26 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
| 02 柏レイソル 10 | 22 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
| 03 柏レイソル 10 | 3 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
| 03 京都サンガ 31 | 12 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
| 04 名古屋グランパス 11 | 10 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
| 04 柏レイソル 14 | 12 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
| 05 柏レイソル 14 | 18 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
| 06 東京ヴェルディ(J2) 11 | 21 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
| 07 東京ヴェルディ(J2) 11 | 34 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
| 08 東京ヴェルディ 11 | 15 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
| 柔らかいボールタッチ、広い視野から繰り出すスルーパスで幾度となく決定機を作る司令塔タイプのMFです。不安定なフィジカルコンディションが課題です。 埼玉県川口市生まれ。5歳の時に群馬に引っ越し小学1年よりサッカーを始めます。5年次に前橋ジュニアというクラブに入り本格的にスキルを磨きます。中学2年でベスト8になると、翌3年では準優勝を果たしました。高校は強豪の前橋商業に進学し、2年次で高校選手権に出場。2回戦で静岡学園高に敗れるもののスケールの大きなプレーにスカウトが注目しました。 卒業後、6つのクラブから獲得を表明され1997年に柏に入団。7月9日京都戦でJリーグデビューしました。わずか7試合の出場にとどまりましたが、Wユースの経験を西野監督に評価され、98シーズンは28試合に出場。4月14日清水戦ではJ初ゴールを挙げました。99シーズンはリーグ12試合の出場にとどまりますが、ナビスコ杯では8試合に出場、決勝鹿島戦では先制点もマークして優勝に貢献。クラブ、自身共に初のタイトル獲得となりました。 その後京都や柏で降格の憂き目に遭います。05シーズンに柏の臨時コーチを務めたラモス瑠偉氏から勧誘され、06シーズンから東京Vでプレー。キャプテンとしてチームを引っ張りJ1昇格を果たします。08シーズンは福西とポジションを争いますが、手術を行い長期離脱、チームもこの影響を受けて降格し、この年を最後に引退しています。 山本監督の下、中村俊、柳沢、宮本恒らと共に1997年Wユースに5試合出場、コスタリカ戦では2ゴールを挙げてベスト8進出を果たしました。 2007年11月26日:新規アップ 2012年2月25日更新 |
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