スコット・パーカー(Scott PARKER)
フルネーム スコット・マシュー・パーカー
国籍 イングランド
出身地 ランベス
生年月日 1980・10・13
身長 175cm
体重 70kg
利き足
ポジション MF(CMF)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2003・2・12
オーストラリア戦
代表背番号 17
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル 04イングランド年間最優秀若手選手(PFA)
11イングランド年間最優秀選手(FA)
11イングランド年間最優秀選手(FWA)
11/12プレミアリーグベストイレブン(PFA)
チームタイトル 04/05プレミアリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
97/98 チャールトン(2部)
98/99 チャールトン 20
99/00 チャールトン(2部) 17 15
00/01 チャールトン 17 20
00/01 ノーリッジ(2部)
01/02 チャールトン 17 38
02/03 チャールトン 7 28
03/04 チャールトン 7 20
03/04 チェルシー 19 11
04/05 チェルシー 19
05/06 ニューカッスル 17 26
06/07 ニューカッスル 17 29
07/08 ウェストハム 8 18
08/09 ウェストハム 8 28
09/10 ウェストハム 8 31
10/11 ウェストハム 8 32
11/12 ウェストハム(2部) 8
11/12 トッテナム 8 29
12/13 トッテナム 8 21
13/14 フルハム 28 29
14/15 フルハム(2部) 28 37
15/16 フルハム(2部) 28 24
16/17 フルハム(2部) 28 29
戦術的な柔軟性があり、中盤のポジションを一通りこなすことができるプレミア屈指の司令塔。守備面での貢献も大きく、ハードワークもいとわないメンタリティを持っています。

8歳のときにチャールトンの練習生として参加します。そして16歳出迎えた1997年8月23日にデビュー。わずか3試合の出場に終わりましたが、プレミア昇格を果たします。
1998年12月25日ウィンブルドン戦でプレミアにデビューします。しかしチームがまったく勝てず自身も出場機会を失い、チームも降格しました。しかしこれが良い方向に進み、通算15試合に出場すると、2000年3月31日QPR戦でプロ初得点も挙げて1年でのプレミア復帰に貢献。翌00/01シーズンにレンタルされたノーリッジから復帰後はレギュラーになりました。
01/02シーズンに38試合に出場すると、翌シーズンには本拠ウェストハム戦での2得点1アシストなど28試合4得点4アシストをマーク、この活躍が認められ02/03シーズンにファンが選出するクラブ最優秀選手に選出されました。
トッテナム等が獲得に乗り出す中、1度はチャ−ルトンと5年契約を交わしますが、冬の移籍市場でチェルシーへ引き抜かれます。しかしケガの影響や厚い選手層の前に出場機会を得られず、2年目にチームが50年ぶりにリーグを制覇した時も貢献できたとは言えませんでした。
05/06シーズンより出場機会を求め、移籍金約13億9200万円でニューカッスルへ。2年目は主将になりますが、07/08シーズンに就任するアラダイス監督の構想から外れました。
その後、チャールトン時代の恩師カービッシュリーが指揮を執るウェストハムへ移籍します。同時加入のリュングベリ、ダイアー、ソラーノとプレミアでの経験豊富な面々との連携が期待されましたが、1年目はケガが頻発しました。しかしその後は本来の輝きを取り戻し、11/12シーズンはリーグで5得点、リーグ杯で2点を取って記者選出のリーグ最優秀選手になりました。また、2年目から3年連続でクラブ年間最優秀選手に輝きました。
奮闘実らずチームが降格し、11/12シーズン開幕後にトッテナムへ。11月には月間MVPになるなどクラブをリーグ4位に導きました(チャンピオンズ・リーグは国内リーグ5位のチェルシーが王者として出場するためヨーロッパリーグへ回ることになりました)。しかし2年目は21試合とフル稼働には至らず、トゥールーズからキャブーの入団もありフルハムへ新天地を求めます。
攻守に存在感を示したものの、19位で降格となりました。16/17シーズンは6位になって昇格プレーオフに進みますがレディングに敗れ、現役引退を決意しました。

U−16代表から各年代で活躍した後、2003年2月12日オーストラリアとの親善試合で代表初召集を受けます。しかし出場機会には恵まれず、その後も召集は見送られていました。
しかし2003年11月16日デンマークとの親善試合で再び召集を受けると、後半途中ルーニーに代わって初キャップを記録します。その後は競争の激しい中盤で存在感を示せませんでしたが、10/11シーズンの活躍により、2012年欧州選手権予選で中盤以降5試合出場。カペッロ監督辞任後のピアース暫定監督から腕章を受け取りました。本大会ではそれをジェラードに譲りましたが、ホジソン監督によりレギュラーを任され4試合に先発しています。
代表記録 18試合

2006年3月22日:新規アップ 2017年6月29日更新