フランク・ライカールト(Frank RIJKAARD)
フルネーム フランクリン・エドムンド・ライカールト
国籍 オランダ ライカールト
出身地 アムステルダム
生年月日 1962・9・30
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1998〜00 オランダ代表
2001〜02 スパルタ
2003〜08 バルセロナ(スペイン)
2009〜10 ガラタサライ(トルコ)
2011〜   サウジアラビア代表
獲得タイトル 04/05,05/06リーガ・エスパニョーラ
05/06UEFAチャンピオンズ・リーグ
現役時代はDFあるいは守備的MF。ミランではFWファン・バステン、フリットと「オランダトリオ」と呼ばれ、セリエA、チャンピオンズ・リーグ、インターコンティネンタル杯を2度ずつ制しました。アヤックスでも5度のリーグ優勝と、チャンピオンズ・リーグ、カップウィナーズ杯を獲りました。
代表でも2度のW杯に出場し、1988欧州選手権は優勝しました。

現役時代に師事したクライフの影響を受けており、ボールポゼッションとサイド攻撃を重視して4−3−3や4−2−3−1を主に採用しますが、守備面でも前線から早めにプレスを仕掛けてディフェンスラインを高い位置まで押し上げ、試合の主導権を握ります。
ヒディンクの影響も色濃くみられ、たとえ試合をリードしている時でもFWの数を増やして追加点を狙う攻撃的な采配をする一面もあります。
人心掌握術に長け、モチベーションを上げるのがうまくチームに落ち着きをもたらします。

1995年にアヤックスを欧州制覇に導いて現役を退きます。その後1998年W杯で指揮を執るヒディンク監督のアシスタントを務め、W杯後に監督に昇格します。
前任者と比べられる立場にあり、さらに地元開催(ベルギーとの共催)の欧州選手権での優秀な結果を求める周囲からの期待は経験のない自身には大きな重圧でした。本大会までのテストマッチはファン・ニステルローイとクライファートの2トップなど試行錯誤を重ねました。
欧州選手権では2トップから3トップにシステムを変更し、ゼンデン、オーフェルマルスを起用してサイド攻撃を徹底します。準々決勝のユーゴスラヴィア(現セルビア)相手に6−1で大勝しましたが、準決勝のイタリア戦は相手に退場者が出て主導権を握ったにもかかわらずゴールを奪えずPK戦で敗れ、ベスト4で大会を去ることになりました。
クラブ初采配は母国の名門スパルタでした。しかしここ数年は残留争いを強いられており、自身の欧州選手権での好成績を受けての就任でした。MFヴィンテル、FWブリンカーといった代表経験のあるベテランを獲得するも4勝で17位に終わりクラブ史上初の2部降格となり辞任。国内では自身の監督手腕は地に落ちたも同然でした。
しかし03/04シーズンにバルセロナからオファーを受け、手始めにロナウヂーニョ、マルケスを獲得。序盤こそ中位に低迷しますが、冬にダーヴィッツを獲得し守備を安定させ、破竹の8連勝を記録するなど2位になって名門復活を予感させました。また、ロナウヂーニョやシャビをコンバートしたり、イニエスタ、メッシを下部から抜擢したりとチームの底上げに成功しました。
翌シーズンは戦術家のテン・カテを招聘します。エトー、ジュリ、デコ、ラーションなど即戦力を獲得。リーグ最高得点、最小失点を記録して6シーズンぶりのリーグ優勝を達成しました。
この2シーズンで今まで主力だったコクー、クライファート、デ・ブール、ライツィハーのオランダ勢、ボナーノやP・アンデションらファン・ハール政権の選手を一掃し、変革期に関わったこともハイライトとなりました。05/06シーズンはターンオーバーを敷くほど選手層が厚くなり、リーグ2連覇に14年ぶりのチャンピオンズ・リーグ制覇と、2冠を成し遂げました。
06/07シーズン、懐刀のテン・カテがアヤックスに去りましたが、現役時代共にプレーした名手ヨハン・ニースケンスをコーチに迎えます。ですが2冠達成で選手のモチベーションが下がり、ロナウヂーニョやエトーが問題行動をとるなどロッカールームが混乱します。リーガではR・マドリーの後塵を拝し、チャンピオンズ・リーグではリヴァプールに敗れ無冠に終わりました。
07/08シーズン、雪辱を期すべくアンリを獲得して移籍市場の話題を独占しましたが、むしろ同時に入団したG・ミリート、アビダル、トゥーレ・Yらにより守備の安定が生まれ、G・ドスサントスとボージャンがトップチームにも臆せず役割を果たしていることで、レギュラーの不振をうまくカバーするといった状況でした。結局チームは無冠に終わり、放任主義をスタンスとする自身の方針がクラブ側から問題視され、このシーズンを最後に辞任しています。
その後ガラタサライに就任し、新たな挑戦をスタートさせます。L・フランコ、エラーノ、カデル・ケイタと代表格の面々を獲って各セクションの補強に成功しますが3位に終わり、ヨーロッパリーグでもベスト32にとどまりました。2年目はM・トパルがバレンシアに引き抜かれ、エヴァートンからレンタルでヨボを獲得して弱点を補てんしましたが8位と精彩を欠き、解任されました。
2011年からナイジェリア代表を率いています。
2007年12月24日:新規アップ 2012年1月7日更新

00オランダ代表(欧州選手権ベスト4)
  クライファート  
  ベルカンプ  
ゼンデン オフェルマルス
ダーヴィッツ コクー
ヌマン ボスフェルト
F・デブール スタム
  V・デルサール  

01/02スパルタ(クラブ史上初の2部降格)
プシバ ブリンカー
ランヘラクヴィンター
ブハリセイム
V・デルメールM・ダシウヴァ
ホーセンエルジンハ
 コーイマン 

05/06バルセロナ(国内リーグ・CL制覇)
 エトー 
ロナウヂーニョジュリ
デコファン・ボンメル
 エヂミウソン 
ジオベレッチ
プジョールマルケス
 V・バルデス