トーマス・シャーフ(Thomas SCHAAF)
フルネーム トーマス・シャーフ
国籍 ドイツ シャーフ
出身地 マンハイム
生年月日 1961・4・30
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1999〜   ブレーメン
獲得タイトル 03/04ブンデスリーガ
03/04DFBカップ
04ドイツ年間最優秀監督
11歳でブレーメンに加入以来、30年以上も身を置く生えぬきの監督。現役時代はDFとして活躍し、1979年に17歳でトップデビュー。日本代表の奥寺康彦ともプレーし、リーグ優勝2回やカップウィナーズ杯などのタイトルにも恵まれました。U−21レベルの代表経験もあります。
「ミスター・パーフェクト」と呼ばれる堅実な守備でチームを支え、リーグ通算262試合13得点の記録を残し、1995年に現役を引退しました。

守備的MFやDFも攻める攻撃サッカーを志向。選手にはリスクを恐れないチャレンジ精神を求めます。中盤の強力なプレッシングと、それを絶え間なく実行する運動量で相手を圧倒します。相手に合わせて戦術を変えず常に攻撃一辺倒ですが、その分失点も多く試合によっては打ち合いになります。また、下部組織で長年指導しただけあり若手の育成にも定評があります。
基本的にトップ下の選手を置き、その周りを運動量豊富な選手で固める4−3−1−2のフォーメーションを採用しています。

現役でプレーしながら1987年より下部組織で指揮を執ります。引退後は正式に指導者となり、1999年5月よりトップに昇格しますが、シーズンは残留争いを逃れるのがやっとでした。
クラブが敏腕なスポーツディレクターを招へいし、自身の意向に沿った選手の獲得が可能となり、上位に浮上します。DFにバウマン、MFにヘルツォークやフリンクス、FWにはブラジル人のアイウトンやピサロなどの戦力がそろっていましたが、バイエルン、ドルトムント、レヴァークーゼンの3強がしのぎを削っていたため、UEFA杯出場を目標にしていました。
しかし01/02シーズンに長年主力となるボロフスキとクラスニッチ、02/03シーズンはパルマでくすぶっていたフランス代表のミクーを獲得します。戦力が整った03/04シーズンはミクーがトップ下でタクトを振るい、クラスニッチとアイウトンの2トップがゴールを量産、特に後者は28ゴールで得点王を獲得します。チームも彼らの活躍に比例して勝利を重ね、10節から32節までを無敗と圧倒的な強さを見せて11シーズンぶりのリーグ優勝とカップ優勝の2冠を果たしました。個人としては、スペインの「AS」紙により未来のベスト監督にも選ばれています。
その後アイウトンがシャルケに去りましたが、その穴埋めに獲得したクローゼが05/06シーズンに得点王になるなど在籍した3シーズンで53ゴールをたたき出しました。また、チャンピオンズ・リーグでも決勝トーナメントにコマを進めました。
06/07シーズンにミクーが去り、ヂエゴを獲得する的確な補強で戦力が保たれるなど、チームをリーグ屈指の強豪に仕立て上げた手腕は高い評価を受けます。08/09シーズンはUEFA杯こそ決勝に進んだものの、国内リーグでは10位と大きく後退、それに加え大黒柱のヂエゴをユヴェントスに引き抜かれました。09/10シーズンの序盤はエジルの成長により、一度は廃止した司令塔を置くシステムを復活させます。そして3節以降公式戦23戦無敗と好調を維持しました。後半に負けが込んできた時は成長株のマリンのポジションを2列目に配置してポゼッションサッカーで復調し、2年ぶりのチャンピオンズ・リーグ出場権を獲得しました。
10/11シーズンはエジルがR・マドリーに引き抜かれ、マリンをトップ下に置きます。しかしレギュラーのCBナウドが長期離脱し、それにより相棒のメルテザッカー、さらにフリンクスとチームの屋台骨を支える面々が精彩を欠いて13位に終わります。チャンピオンズ・リーグでもインテルとトッテナムの前にグループリーグで敗退しました。
2008年2月14日:新規アップ 2012年1月4日更新

03/04ブレーメン(国内リーグ・カップ優勝)
クラスニッチ アイウトン
  ミクー  
エルンスト リステシュ
  バウマン  
シュルツ スタルデリ
クルスタイッチ イスマエル
  ラインケ  

08/09ブレーメン(UEFA杯準優勝)
ロセンベリ ピサロ
エジルフリンクス
バウマンニーメイアー
ボエニシュフリッツ
ナウドプレードル
 ヴィーゼ