※1
フルネーム ※2
国籍 オランダ
出身地 ロッテルダム
生年月日 1975・2・5
身長 178cm
体重 75kg
利き足
ポジション DF(LSB)
FK PK FK
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 1996・8・31
ブラジル戦
代表背番号 5 19
W杯メンバー 98年 06年
10年
ニックネーム ジオ
個人タイトル  
チームタイトル 94/95,07/08オランダカップ
98/99,99/00スコットランドリーグ
98/99,99/00スコットランドカップ
01/02プレミアリーグ
01/02,02/03FAカップ
04/05,05/06リーガ・エスパニョーラ
05/06UEFAチャンピオンズ・リーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
93/94 RKC 12
93/94 フェイエノールト
94/95 フェイエノールト 10
95/96 フェイエノールト 33
96/97 フェイエノールト 34
97/98 フェイエノールト 32
98/99 レンジャーズ(スコットランド) 35
99/00 レンジャーズ(スコットランド) 27
00/01 レンジャーズ(スコットランド) 11
01/02 アーセナル(イングランド) 16 21
02/03 アーセナル(イングランド) 16 20
03/04 バルセロナ(スペイン) 12 34
04/05 バルセロナ(スペイン) 12 29
05/06 バルセロナ(スペイン) 12 19
06/07 バルセロナ(スペイン) 12 23
07/08 フェイエノールト 8 32
08/09 フェイエノールト 8 27
09/10 フェイエノールト 8 29
主に左プレーしますが、豊富な運動量と高度な技術によりボランチでもプレーできるユーティリティプレーヤー。セットプレーやスルーパス、クロスなど攻撃面で実力を発揮します。

ファーストネームはイタリア人のようですが、インドネシア系のルーツの家庭に生まれます。17歳で地元フェイエノールトと契約を結びました。レンタル復帰後の95/96シーズンよりレギュラーに定着、FWラーションやDFクーマンと共にチームの軸として活躍しました。
98/99シーズンより同胞アドフォカート監督率いるレンジャーズへ移籍。ファーガソンとの中盤でゲームメークや守備でフル稼働し、ドッズとワラスの2トップにアシストを量産、この2トップはリーグの得点王争いをするようになりました。そして2位セルティックに勝ち点差21をつける圧倒的な強さでリーグ制覇。他2冠達成の原動力となり、翌年も2冠に貢献しました。
01/02シーズンに約14億円でアーセナルに加入し、8月18日ミドルスブラ戦でプレミアデビューします。ヴェンゲル監督により左SBとして新境地を開拓し、レスター戦で初ゴールを挙げるなどリーグ優勝しました。2年目はフルハム戦でのケガやAs・コールの台頭がありましたが、本拠チェルシー戦でゴールを決め、終盤のサウサンプトン戦で2アシストを見せました。
03/04シーズンよりバルセロナへレンタル移籍。本拠バルセロナダービーでの初ゴールなど不調のクラブで輝きを取り戻し、シーズン途中に加入してきたダーヴィッツと共に献身的なプレーを見せて自身とバルサの復活を大きくアピール。その後完全移籍を勝ち取った04/05シーズンはフェイエノールトで共にプレーしたラーションと再会、本拠のクラシコでゴールを挙げるなどリーグを制し、翌05/06シーズンはチャンピオンズ・リーグにもアーセナルとの決勝など全13試合にスタメン出場し、クラブに2度目のビッグイヤーをもたらしました。
07/08シーズンより古巣フェイエノールトに9年ぶりに復帰して主将に就任。序盤はアヤックスから、終盤は本田圭擁するVVVからゴールを挙げ、13年ぶりの国内カップ制覇も果たしました。2年目は国内カップで2ゴールを挙げましたが、決勝でアヤックスに敗れました。

1996年8月31日ブラジル戦で代表デビュー。1998年W杯予選に2試合出場し、本戦は出場機会こそなかったもののメンバー入りしました。ライカール監督により2000年欧州選手権メンバーにも選ばれ、準決勝のイタリア戦で先発出場しましたが、PKで敗れました。
2002年W杯予選は4試合の出場も敗退します。その後の欧州選手権はレギュラーとして全5試合にスタメン出場しますが、ポルトガルに敗れベスト4の壁を破れませんでした。
2006年W杯予選は出場停止を除く全11試合に出場し、2大会ぶりの出場権を獲得。本大会でも不動の存在でしたが、決勝トーナメント1回戦のポルトガル戦では2枚のイエローカードをもらって退場処分になり、ベスト16で敗れ去っています。
2008年欧州選手権予選は10試合に出場。アウェーのスロヴェニア戦で決勝弾を挙げ、本大会でも主力として活躍。イタリア戦でゴールを挙げるなどグループリーグ突破に貢献しました。
ファン・デル・サールから腕章を受け継ぎ2010年W杯予選では全8試合、本大会でも全7試合に出場と重責を果たし、準決勝ウルグアイ戦では先制点となる強烈ミドルを決めました。決勝スペイン戦では延長戦で退き、ファン・デル・ファールトに腕章を託して現役を終えました。
代表記録 106試合6得点
※1:ジョヴァンニ・ファン・ブロンクホルスト(Giovanni VAN BRONCKHORST)
※2:ジョヴァンニ・クリスティアン・ファン・ブロンクホルスト
2007年1月30日:新規アップ 2013年9月11日更新