マリオ・ザガロ(Mario ZAGALLO)
フルネーム マリオ・ジョルジ・ロボ・ザガロ
国籍 ブラジル ザガロ
出身地 マセイオ
生年月日 1931・8・9
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1966〜70 1975〜75 1978〜79 1986〜87 ボタフォゴ
1967〜68 1970〜74 1994〜98 ブラジル代表
1971〜72 フルミネンセ
1972〜74 1984〜85 2000〜01 フラメンゴ
1976〜78 クウェート代表
1978〜79 アル・ヒラル(サウジアラビア)
1980〜81 1990〜91 ヴァスコ・ダ・ガマ
1981〜84 サウジアラビア代表
1988〜89 バングー
1989〜90 UAE代表
1993〜94 2003〜06 ブラジル代表テクニカルディレクター
1999〜00 ポルトゲーザ
獲得タイトル 67,68,71,72リオデジャネイロ州選手権
70FIFAワールドカップ
76ガルフカップ
79サウジアラビアリーグ
86ブラジル全国選手権
97コパ・アメリカ
現役時代はペレ、ガリンシャらと共に1958年、1962年のW杯を連覇。左WGとして活躍。フォルミギーニャ(小さなアリ)のニックネームがあり、小柄な身体で献身的なプレーを見せました。ブラジル代表歴は通算成績は37試合4得点です。
クラブではアメリカというアマチュアクラブでキャリアをスタートさせ、フラメンゴなどで活躍し、リオデジャネイロ州のタイトルを複数回獲得します。33歳で現役を引退しました。

監督として1970年W杯を制覇し、アシスタントとして1994年2度目の選手と両方の立場で世界の頂点に立った人物は、他にドイツのベッケンバウアーだけという比類なき勝者です。
華々しい経歴が並ぶ一方、サッカー界に衝撃を与えるような斬新な戦術やスタイルがなく、どちらかというと守備的に戦うことを好むため、ブラジル国内での評価は高くありません。
相手チームを分析するようなこともなく、手持ちの選手の才能次第のチームを作りますが、選手の能力やモチベーションを引き出し、チームをまとめるカリスマ性を持っています。

1964年にボタフォゴで引退してそのまま残り、ユースチームのコーチから指導者としての道を歩み始めました。そして2年後トップチームの監督になり、リオ州のタイトルを獲得。それが評価されて1970年に38歳の若さ、W杯開幕3ヶ月前にブラジル代表監督となりました。
前任者のサンターニャ監督が、年齢的な衰えを理由に冷遇していたペレを再び攻撃の柱に据え、司令塔がそろうチーム編成においてトスタンをCFとして起用。さらにリヴェリーノを左WGに。さらにジェルソンをボランチに、ジャイルジーニョを右WGに置いて稀代のタレントの共存を可能にしました。スペースを巧みに作り出す変則の4−3−3で攻撃サッカーで6戦無敗、19ゴールを奪い3度目のW杯優勝を果たしました。これにより、W杯のトロフィーを永久に保持する権利を獲得しています(最初に3度目の優勝を達成した国に権利が認められました)。
その後フルミネンセで結果を出して再び代表監督に就任。ペレやトスタンが代表を退き、リヴェリーノを司令塔に据えると、東ドイツ戦のFKなど見せ場を作ったものの、前回とは打って変わった守備を前面に押し出すサッカーでゴール数も6ゴールに終わり、トータルフットボールのオランダに敗れ、さらに3位決定戦でもポーランドに敗北。国内から非難が絶えず辞任しました。
その後アラビア半島に渡り、クウェートを率いてガルフ杯を獲得。サウジアラビア代表を経て、UAEに就任。1990年W杯で同国初の出場権獲得と、結果を残しました。
1993年にブラジルに復帰し、自身と監督としてのビジョンが重なる守備を意識した采配を振るうパレイラ代表監督と共に総監督として1994年W杯に臨みます。キャプテンのドゥンガ、M・シウヴァの2人のボランチはチームの核となり、攻守に貢献。ロマーリオ、ベベトの決定力に頼る嫌いはあったものの、24年ぶりの優勝を果たしました。
1996年アトランタ五輪では、ロナウド、R・カルロス、ジュニーニョ、ヂーダに加え、ベベト、リヴァウド、アウダイールとオーバーエージ枠をフル活用して初の金メダル獲得を狙います。日本との初戦では圧倒的に攻めたものの川口を中心とした守備陣に阻まれ、GKとCBの連係ミスにより失点し、まさかの敗戦スタートとなります(マイアミの奇跡)。その後ナイジェリアとハンガリー、決勝トーナメント初戦でガーナを下しますが、準決勝で再び対戦したナイジェリアにオウンゴールを献上、延長戦に突入するとFWカヌに決勝ゴールを許して3−4で敗れました。
その後パレイラから後を引き継ぎ、1997年コパ・アメリカではロマーリオ、ロナウド、エヂムンド、レオナルドなどがゴールを量産し圧倒的な強さで4大会ぶり5度目の優勝を果たしました。
1998年W杯はジーコをテクニカルディレクターに迎え、ドゥンガのパートナーに横浜Fでプレーしたサンパイオを据えます。攻撃面ではカフーとR・カルロスの両サイドアタックは計算できましたが、前線ではロマーリオがふくらはぎを痛めたためメンバーから外し、ベベトとロナウドを組ませます。サンパイオやリヴァウドと中盤もゴールを挙げて決勝に進みました。しかしロナウドが当日に体調を崩し、強行出場するも事態は好転せずホスト国フランスに敗れました。
以降は単発的にブラジル各地で監督業を続け、評論家としても活動しています。
2007年9月2日:新規アップ 2012年1月4日更新

70ブラジル代表(W杯優勝)
  ペレ  
トスタン ジャイルジーニョ
リヴェリーノ クロドアウド
  ジェルソン  
エベラウド C・アウベルト
ピアッザ ブリト
  フェリックス  

96U−23ブラジル代表(五輪3位)
ベベト ロナウド
ゼ・エリアスジュニーニョ
F・コンセイソンアマラウ
R・カルロスゼ・マリア
ロナウド・ギアロアウダイール
 ヂーダ 

98ブラジル代表(W杯準優勝)
ロナウド ベベト
リヴァウドレオナルド
ドゥンガC・サンパイオ
R・カルロスカフー
アウダイールJ・バイアーノ
 タファレル